空想小説

十個の乳首

久しぶりに酒に酔って家に帰ると、裸の女がリビングのソファで眠っていた。僕が電気を点けると彼女は飛び起きて僕に抱きついてくる。「お帰りなさい」と彼女は満面の笑みを浮かべながら言う。そして、戸惑っている僕の顔をべろべろと舐め始める。彼女の背中…

あまやどり

アパートのドアがノックされた。聡志はこんな雨の降る夜中に訪ねてきそうな人物を何人か思い浮かべる。その誰もがろくな奴ではなかった。できれば居留守を使いたいのだが、部屋の蛍光灯を点けてしまっていてはそれもできない。ため息をつき、仕方なく入り口…

あどけない話

私は自分の半身を物語の中に忘れてきてしまったことに気づく。まれにではあったが、すごくおもしろい本に出会うと読み進める速さの余りこうなることがある。閉じた本はずしりと重く、火傷するほどに熱い。私は本を置いて、ぼんやりとした頭のまま、紅茶を淹…

表題未定

その胸に魅せられた矢は 苦しめることを忘れてしまった そこでかれは その特性を放棄した毒を 鎮痛剤と思った―― ――――エミリ・ディキンソン「その胸に魅せられた矢は」

レスポール

私の体は穏やかな川の流れに乗って下流へと運ばれていく。川岸は遥か遠く、キャンプをする家族連れが楽しそうに動物の死骸から切り取った筋繊維を焼いて食べている。反対側の岸は色とりどりの花が咲いていて、様々な蝶と蛾が舞っていた。私はちょうどその真…

僕らの舞台は行ってしまった

「地球上からアリというアリがいなくなってしまったことで、アリクイたちはアイデンティティを失ってしまったのです」 ブランドのスーツを着たアリクイは寂しそうにそう言った。大変なのでしょうね、と男はメモをする手を止めて、彼と同じように沈痛な面持ち…

雲の隙間

一人のウェイターが背中にパラシュートをつけて飛行機から飛び降りる。 髪はしっかりと後ろに撫でつけ、上等な燕尾服を着て、一九九〇年産のシャトー・マルゴーを片手に空へと吸い込まれていく。風を切りながら一番大きな雲をを目指し、オペラのタイトルロー…

エントロピーの増大

夜中に起こった停電のせいで、冷蔵庫に入っていたアイスクリームは溶けてしまっていた。きっと誰かが共用の電気羊に餌を与えるのを忘れたのだろう。それとも羊が年を取りすぎてしまったのか。どちらにせよ、後で電動物技師に見てもらわなくてはいけない。一…

起源

一人の少女が波で散らされた淡い光の届く海底で物憂げに椅子に座っている。 遥か昔に難破船から振り落とされてしまったローズウッドの椅子の周りには、瑠璃色の珊瑚の森が広がっている。極彩色の魚たちは初めて見る美しい少女を、森の隙間から恥ずかしそうに…

ふさわしくない

今にも雪が降りそうな曇天の下で結婚式がしめやかに行われる。新郎は型くずれした燕尾服を着て立ちつくし、ヴァージンロードを花嫁とその父親がやってくるのを待つ。父親は大きなヤクシカで、花嫁が泣きながらその枝分かれした角を引いて歩く。とぼとぼと歩…

退屈な夜

ブランデーがなみなみと注がれたグラスの中で、裸の女が夢のように舞う。女は上に下にと自在に泳いでその度に長い髪と薄い陰毛が怪しく揺れた。そして、時に何かを憂うような表情を見せたかと思うと、その次には激しい怒りに眉を寄せていたりする。私はカウ…