レスポール

 私の体は穏やかな川の流れに乗って下流へと運ばれていく。川岸は遥か遠く、キャンプをする家族連れが楽しそうに動物の死骸から切り取った筋繊維を焼いて食べている。反対側の岸は色とりどりの花が咲いていて、様々な蝶と蛾が舞っていた。私はちょうどその真ん中をゆらゆらと流れていく。冷たい水の感覚に手先の感覚は麻痺してしまっていた。
 遠くから飛んできた飴色の鷺が私の体の上で羽を休める。しばらく羽繕いをして、一眠りをしてから鷺は私のことに気づく。
「おや、珍しいもんだ。人間が流れてる」そう言って、クチバシをカパカパと鳴らした。
「できれば岸に上がりたいんだけど、いい方法を知らないかな」紫色の唇で話す私。
 鷺は長い首を捻ったが答えは出てこなかった。代わりに私の冷たくなった右手の親指をくわえてどこかへ行ってしまう。
 どんどん流されていく私を助けようという奇特な考えを持ち合わせた野生動物などいるはずもなく、その度に私の体が失われていく。まず左手を全て失った。その次は左足。そして右足。最後に残った右手は何故か親指以外なくなってはいない。私は失った体のことを思う。役には立たなかったが、だからこそ愛することしかできないのだ。
 やがて川を上がってきた鮭が私に言う。「そんなところで寝ていると海に出るぞ」
「わかってる。でも、どうしようもない」
「これから上流でジミ・ヘンドリクスのライヴがあるのにか?」
「僕はそれに出るはずだった。彼のストラトキャスターの一撃を鳩尾にくらって、客席へ盛大にゲロを吐く予定になってたんだ」
 それはクールだ、と鮭は口笛を吹き、上流へと泳いでいった。
 海に出る直前の大きな橋の上で、たくさんの男たちが並んで背中を向けながら立ち小便をしている。私は必死に身をよじり、避けようとして橋の欄干に引っかかる。これで安心かと思ったが、男たちは今度は尻をこちらに向ける。
 私は潜って逃げようと大きく息を吸い込んだ。すると、体が冷たい川の水から空へと浮き上がり始める。要らないものを捨てれば人は空を飛べるのだ。親指のない右腕で空をかいて進む。私の住んでいた街が遠くなっていく。やがて、呼吸が続かなくなった私は、大きく息を吐いたが最後、空の底まで真っ逆さまに昇っていってしまう。