十個の乳首

 久しぶりに酒に酔って家に帰ると、裸の女がリビングのソファで眠っていた。僕が電気を点けると彼女は飛び起きて僕に抱きついてくる。「お帰りなさい」と彼女は満面の笑みを浮かべながら言う。そして、戸惑っている僕の顔をべろべろと舐め始める。彼女の背中は綺麗な白で、腰のくびれから臀部にかけてはまさに理想的だ。
「君は誰?」僕が訪ねると彼女は不思議そうな顔をした。「酔ってるのね。お酒の匂いがする」そう言った彼女の口は生臭かった。嗅いだことのある口臭で彼女の正体が思い浮かんだ。「メアリ?」僕は愛犬の名前を呼ぶ。「なぁに?」彼女が嬉しそうに答えた。
 餌皿に入れたドッグフードを嬉しそうに食べている愛犬のメアリ。僕は水皿の方も横に置いてやった。いつもと感覚が違ったので思わず手を噛まれそうになってしまった。餌を食べている犬に迂闊に手を出してはいけない。「今日、変わったことはなかった?」僕は彼女に話しかける。「ゴキブリを二匹見たけど逃がしちゃったわ」「それだけ?」「ええ。日記が一行で終わるから紙資源の節約になると思うの」
 僕がシャワーから戻ってきてミネラルウォーターに口を付けると、メアリはいつもニューヨーク・ポストを持ってきてくれる。今日だって律儀にくわえて持ってきた。それを受け取って読み始めた僕の横に座って彼女は首を捻った。「撫でてくれないの?」そう言ってメアリは腹をこちらに向けて寝そべった。彼女の腹には犬だった頃の名残にふさふさした毛が生えていて、僕はいつも通りにその腹をマッサージしてやる。それが終わると自分で勝手にテレビのリモコンを操作して、ジョン・グラハム・ショウを見始める。「結局の所、彼はベトナム戦争のジョークでのし上がったんだから、今度の戦争もネタにするしかないのよ。センスが時代遅れになっているとか、そういう問題はさて置いてね」それはとても的を射た意見だった。「僕には君が人間に見えるね」「あら、私にはあなたが犬に見えるわよ」彼女はくすくすと上品に笑った。
 散歩に行こうとして、さすがに彼女が裸のままではいけないのではないかと思った。嫌がる彼女を押さえつけてシャツとショートパンツを着せてやって、僕はふと考えた。犬に服を着せて散歩をさせている人にはこういう理由があるんじゃないだろうかと。「服を着るならクリスチャン・ディオールがいいわ。ゴルチェかヴェルサーチでもいいけど」「一応、それもD&Gなんだけどね」「あなたに似合うものと私が似合うものは違うのよ」僕は朝のセントラル・パークを彼女と歩いていて誰かとすれ違うたびに、早く彼女が元のミニチュアダックスフントに戻ってくれないかと切に願った。


 言い訳兼解説はこちら