またデザインを変えた

 小説や音楽とかのいわゆる創作といわれるものには、その作り手の精神状態が色濃く反映されています(職人芸はその逆でいかなる時も同じ品質のものを作らなくてはならない)。
 個人的な判断基準として、その作品に“孤独”が見えるかというものがあります。
 言葉で表すのはとても難しいのですが、それはどんなに明るい作品であれ、あるいは暗鬱な作品であれ、その“孤独”はひっそりと行間に潜んでいたりするのです。しかし“孤独”がない作品を作る人にはどうがんばっても“孤独”は表現することができませんし、その逆もまた然りです。ちなみに“孤独”の有無は作品の優劣には関係ないとだけ言っておきましょう。
 ただ、自分の琴線に触れるものは“孤独”を感じるものが多いことは確かです。前々から伊坂幸太郎作品はひと味足りない、と感じているのもおそらく“孤独”が欠けているからでしょうし、他にも何か足りないなぁと思う作品(乙一とか西尾維新とか)も同じ“孤独”の欠如が理由のものは多いと思います。
 じゃあ、その“孤独”ってなんだよと思うのですが、それが分かれば苦労はないのですよ。私は評論家ではないし、そもそも作品の分析をするのが大の苦手なのでなんとなくそういうものがあるという程度でしか話せません。
 そもそも“孤独”という表現も的確ではなく、“寂しさ”であったり“冷笑”であったり、なんだかよくわからない混沌としたものの寄せ集めというものなのです。それを的確に表現できたなら、もう少しおもしろいものも書けるのかもしれないのだけれど、曖昧なものを曖昧なままにしておくのもいいかなぁと思います。
 あー、自分で書いててよくわかんないや>ダメじゃん。

 「つまり」と彼は断言した。「もし一五歳の時に不格好で冴えないやつだったら、そいつは一生不格好で冴えないやつだってことだ。それこそ死ぬまで。いつも冴えないやつなんだ。何年経とうが、結婚して子供が出来ようが、それこそ夢にも思わなかったほど成功しようが、やっぱり昔みんなに笑われた冴えないやつなんだ。そいつは絶対に変わらない。それが自分なんだから」
 デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』より

ギリアム版アリス?

 DVDを借りに行ったら『ローズ・イン・タイドランド』があったので嬉々として見ましたよ。

ローズ・イン・タイドランド [DVD]

ローズ・イン・タイドランド [DVD]

 現地アメリカでは公開されず、日本など一部の国の劇場でしか見られなかったという作品。その理由は“これ大丈夫か”と思ったところが二ヶ所ほどあったので、その部分でまちがいないでしょう。日本では映画は芸術作品という扱いされるから、映倫がザルみたいに通しちゃうのだ。良いのか悪いのかは各自判断で。
 内容は『不思議の国のアリス』みたいな幻想的なファンタジー、ではないのはテリー・ギリアムという時点でよくわかりますね。
 後は主人公のローズ役、ジョデル・フェルランドが異常に可愛い。おんなじ“天才子役”のダコタ・ファニングはおばさんっぽい印象というか、妙に子供の“演技”をしているっていう印象があって好きじゃなかった。今回のフェルランドがお人形(首だけなんだけどね)を持って一人で会話してるシーンなんかは、こんな子供いるなぁとしみじみ思ってしまいましたよ。

 今回のオススメ度は0!
 ただし、テリー・ギリアムの映画はどういうものかわかってる人はそれなりに見てもよし。途中でちょっとダレるかもしれないけど。
 ちなみに一緒に借りてきた『オーシャンズ12』もオススメ度0!
 前作も前作だったけど、今回は個々の能力を全く、ただの一つも役立ててない上に、最終的には12人いらないじゃんという結末。素朴な疑問として11人+1人の“1人”はキャサリン・ゼタ・ジョーンズジュリア・ロバーツのどっちなのかが、わかりませんでしたとさ。

衣替え

 なんとなくデザインを変えてみた。読みやすくなるとか、そういうものは一切気にしてません。


 『何をいまさら的なことを、自分の思考をまとめる兼メモ書き程度に』


 例えば、ベストセラーの本は総じて恋愛モノ(あるいはそれに準ずるもの)であることが多い。村上春樹の『ノルウェイの森』も片山恭一の『世界の中心で、愛を叫ぶ』も恋愛モノである。スタニスワフ・レムの作品で最も有名な『ソラリスの陽のもとに』も恋愛モノである(レム本人は否定しているけれど)。女子中高生にものすごく売れてるケータイ小説とやらも、全て恋愛モノだ。

 それでは、なぜ《恋愛モノ》が売れるのか。

 ひとつは共通体験である。登場人物に共感し、物語に没入するためには、自己投影がもっとも手っ取り早い。上記のケータイ小説は『いまどきのオンナのコが、いまどきのレンアイを、カザらない言葉で書いた』という売りがある。これについては色々と疑問も残るけれど、年代が違う人が書いたものよりも同年代と言うだけで、同調性はかなり高まるだろう。

 ひとつは神格化である。愛情というものが崇高な位置にまで持ち上げられ、それに皆憧れているのかもしれない。憧れとは手にしていないものに抱くもの。では、今、もてはやされている世間一般で言うところの“レンアイ”は“愛”とは違うのだろうか。それは裏返せば逃避である。

 ひとつは汎用性である。いかなる物語にも人間が存在するかぎり恋愛が含まれる余地はあるし、どのように割り込んできても不自然になることはない。なおかつ、読み手の方も選ぶことがない。本当におもしろいものは、年齢性別関係なくおもしろく読むことができる(これはあらゆる作品に言えることだけど)。



 とりあえず、今日はこれくらいにしとこうっと。全然まとまってないし、まだ書き足りないけど。

 あんまり現実がヤスいから、こんなクソカタい本が欲しくなるのかもな。

 武富健治『シャイ子と本の虫』より

どんなことでも薄味の方がいいのか。

 なんか色々と箇条書き。


・数年ぶりに映画館に2本見に行った。
 『デジャヴ』
  デンゼル・ワシントン主演とか見始めてから気づいたり。数百人という犠牲者を出したフェリー爆破事件を発端に展開するお話で、かなりおもしろいんだけど、見るときは事前情報を入れない方がいいと思う。という理由でここから文字反転。
  物語の一番の肝である、“人工衛星からの画像データを解析して4日と6時間前の出来事をあらゆる視点から見ることのできるシステム”がおもしろい。どこかの感想で見たGoogleアースのすごいやつっていうのは的を射ていると思う。カーチェイスのシーンは単純にアイデア勝ち。しかしながら、最初のサスペンス的展開から、急にSFに変わっていく超絶展開を知らずに見たら、もっとおもしろかったんじゃないかな。
  これって宣伝とかあんまりしてないよね。観客も20人くらいしかいなかったし。
  とりあえず、DVDがレンタルとかになったら見る価値はある作品でした。


 『13/ザメッティ』
  2005年制作なのに、なぜか全編白黒という不思議な作品。こっちの肝は“13人で行う変則ロシアンルーレット”のシーンだ。というか、それを撮りたいがために前後のストーリーをくっつけた感じ。始まってからしばらくは退屈でしたよう。
  で、その変則ロシアンルーレットのルールは、銃口を自分ではなく前の人に突きつけるというもの。なので13人いたらぐるっと輪になっている。そのなかで法則とかルールみたいなものができあがっていて、それを理解しているとおもしろく見れるのです。



・初めてヴィレッジヴァンガードに行った。
 感想は3、4年前の自分ならそれなりに楽しめたのではという程度。置いてあるラインナップがやけに中二病的な感じがしたり、サブカルとかアングラとかそういうのが好きな人はいいのかも。SF的要素が少ないのが残念。


・SFで思い出したけど、『今日の早川さん』が本になるらしい。
 ネット界隈の本はどうなのかと思っていたけど、これは欲しい。


東野圭吾『手紙』と伊坂幸太郎陽気なギャングが地球を回す』を読んだ。
 初東野作品は地雷。いろんな書評を見ると評価はものすごく高かったりするのだけれど、そんなに絶賛するほどの作品か、これ? なんか二度と東野作品を手に取れない気がする。
 伊坂作品は3作品目だけど、あいかわらず、つまらなくはないけど、おもしろくもない。何が悪いんだろう>たぶん自分の感性。もう読むのやめよっかな。

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

施川ユウキマンガがおもしろすぎる。
 『サナギさん』と『もずく、ウォーキング!』が素晴らしくおもしろい。何回読んでも劣化しないし、中毒性も高い。非の打ち所がない。絶賛。

サナギさん 3 (少年チャンピオン・コミックス)

サナギさん 3 (少年チャンピオン・コミックス)

リハビリは相当難しい

 一回くらい普通の恋愛小説を書かなきゃなぁ、と思って書いたのがこれ。
 とりあえず、自分で書いて顔が真っ赤になるのですが、羞恥プレイのように置いておきます。
 うぅ、なんで関西弁なんだ……。

あまやどり

 アパートのドアがノックされた。聡志はこんな雨の降る夜中に訪ねてきそうな人物を何人か思い浮かべる。その誰もがろくな奴ではなかった。できれば居留守を使いたいのだが、部屋の蛍光灯を点けてしまっていてはそれもできない。ため息をつき、仕方なく入り口の鍵を開けに行く。覘き窓から見た訪問者の姿は一番嫌な相手だった。
「やっほう」ドアを開けると、貴子は片手を上げてそう言った。
 聡志は無言で彼女を見つめている。
「中に入れてや。今、彼女とかおれへんやろ」貴子はにこやかに言う。
「またか?」聡志は答えがわかっていることを訊いた。馬鹿馬鹿しいと思う。しかし、それ以外にかける言葉も見あたらないのだ。
 貴子は頷いた。そして、聡志が了承してもいないのに勝手に部屋に上がり込んでいく。
「待てや」聡志は肩を掴んで制止した。「体濡れてるやん。タオル持ってくるから待っとけ」
 体を拭いても服は濡れたままなので、聡志はTシャツとジーンズを渡し、着替えさせた。
「優しいなぁ、聡志は」背中を向けたまま着替える貴子が言った。「今まで出会った男の子の中でいっちばん優しい」
「ほんなら、付き合ってくれや」聡志は白い背中に言った。
「それはでけへん」彼女はきっぱりと断る。
 聡志も冗談で言っているのではない。いつだって真面目だ。
「俺のこと嫌いなんやもんな」
「そうや。聡志のことは嫌いやから付き合われへん。アホやし、将来性ないしな」
 聡志は手慣れた手つきでコーヒーを二人分淹れた。貴子には砂糖を二個。自分には一個。二人はしばらく無言でコーヒーを飲んだ。テレビの無意味な音声だけが部屋の中に響く。
 やがて、貴子はゆっくりと聡志に近づき、膝の上に乗った。ぎし、と少しだけフローリングの床が軋んだ。
「キス、して」
 いつものように、貴子は言う。
 聡志は言われたとおりにする。いつだってそうだった。聡志は貴子に従い、貴子は聡志に依存する。これで四回目だ。聡志はキスの回数を数えている。それは同時に貴子が傷ついた数でもある。他の男が貴子を傷つけるのだ。
 唇だけを合わせる。きっちり三秒間。それが二人の間に生まれたルール。
「ヤニくさ」貴子は少しだけ口の端を上げた。悲しみを誤魔化すための笑み。あと何度、そんな表情を見なくてはいけないのだろうと聡志は思う。「煙草はやめや。体に悪いし、そもそも似合ってへん」
「いままでそんなこと言わへんかったのに」
「とにかくやめて。煙草嫌いやねん」
 そして、二人は同じベッドで眠る。手を繋いで、お互いの存在を確かめ合いながら安心して眠る。遥か昔、幼稚園にいた頃と同じように。
「愛してる、愛してる、愛してる」
 聡志は貴子の耳元で囁く。
 彼女の耳には届かない。あるいは届いていても成就されることはない。
 傷口に貼る絆創膏のように、一時的に頼るだけの存在。
 それに甘んじている自分は情けないのだろうか。
 聡志は体を起こして煙草を探す。口にくわえ、ライターで火を点けようとして、右手を握る暖かさを思い出した。
「アホらし」聡志は煙草をまだ中身が残っている箱ごとゴミ箱に投げた。
 それは放物線を描きながら飛んでいって、見事に的から外れた。

一段落

 しゅーしょくかつどーとかいうものがたぶん終わったんじゃないかと思うのだけれど、
 なんかけんしゅーとかしけんきかんとか意味の分からないことが多々あるので、まだまだ気は抜けない。
 働くってことは大変なんだろうけど、ものすごいバカらしいことじゃないかと思うね。
 就職前からこんなことを言ってて続くんだろうか……。


 とりあえず、なんか小説書きたい。
 そんでもって、色んなところに応募してみよう。
 他のことはそれからでもいいや。

 全てを失ったことが
 小さなものを失わないようにさせてくれた
 たとえば世界がひとつ
 ヒンジから外れたり
 太陽が消えうせる
 ほどの出来事でないかぎり
 好奇心から私が仕事をやめて
 頭を上げるほど大きくはない


 ――エミリ・ディキンソン詩集より